感谢广西师范大学外国语学院组织的翻译工作
【日文】
宋代の王正功の『鹿鳴宴での勧駕詩』
原型の石刻は独秀峰の読書岩の石壁にあり、高さ1.15メートル、幅0.64メートル、桂林の考古学者が独秀峰の石刻を整理したところに発見したものです。その題名は「権府經略提刑大中丞公宴賀之詩」(権府經略提刑の大中丞の宴会の祝賀詩)で、その内容は宋代の広南西路の提点刑獄権知府事の王正功が桂林で嘉泰元年(公元1201年)に書いた詩句です。
「桂林の山水は天下に甲たり」の詠んだ『鹿鳴宴での勧駕詩』
69歳の四明(現在の浙江ニンポー)人で、広南西路の提点刑獄権知府事の王正功は宋代嘉泰元年(1201年)、桂林の郷試の中に順列11名の優勝した学生は都に入って来年の春季礼部の試験を参加するために「鹿鳴宴」を行って見送た時に、それらの若者を励むために二首の「勧駕詩」を作りました。(『鹿鳴宴での勧駕詩』の序は「嘉泰改元、桂林の大勝負で優勝する人は十一人があり、九月十六日に故事で宴会の礼を行りました。提点刑獄権知府事の王正功は勧駕詩を作りました」。「勧駕」というのは都に入って礼部試験を参加することをあらかじめ祝う祝辞です。この「勧駕詩」の第一首の内容は主に優勝した学生達の才能を称賛し、彼らは来年の春季の礼部試験の中にいい成績 を取ることを希望しました。第二首の内容はこんなに傑出した人物が多い桂林から出来る学生を励み、試験の中にも戦場のように士気が高揚し、最後に素晴らしい前途があり、南闘六星のように空に掛か、キラキラしています。第二首の詩の前書きは「桂林の山水は天下に甲たり」で、今まで最も早く提出したみんなに知られる名句です。
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