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感谢广西师范大学外国语学院组织的翻译工作
【日文】
宋代の范成大が題記した「碧虚銘」の石刻 原型の石刻は普陀山の七星岩に彫刻してあり、高さは2.7メートル、幅は1.6メートルです。范成大は宋代淳煕元年(1174年)に尹穑の『仙跡記』に記載された唐代の郑冠卿が栖霞洞(今は七星岩)で神仙に出会う話により、その内容を岩壁に刻んでおりました。同時に七星岩の前に「碧虚亭」を建てました。
唐代の郑冠卿が栖霞洞で神仙に出会う伝説 宋代の尹穑が記述した『仙跡記』の石刻(高さは2メートル、幅は3メートルで、桂林の七星岩の崖に刻んでおる)によると、唐代乾寧年間、臨賀(今は賀州)の長官郑冠卿は任期が終わり、長安に帰った途中で桂林に到着し、栖霞洞(今は七星岩)を遊覧する時に大石の上で碁で対局する道士二人に出会い、共に音楽を演奏しながら酒を飲もうと誘われました。郑冠卿が長官であった頃、常に貧乏な百姓を同情できて、彼達の代わりに税を払い、途上死んだ人を見れば、必ず自分の服を脱いで死者を弔ったから、別れる時、道士達は彼に詩二首を賜り、役人を務める間、功徳を立てて自身の精神を高めなければいけないと勧めました。洞を離れてから、彼は出会う道士が日華と月華という神仙だと知っていました。故に彼は名利を断じて、心から百姓のために善事を行い、貧困な人を助けて、最後に官職を辞め、百四歳まで隠居していました。『全唐詩』に記載されている郑冠卿に関わる内容は当時道士が彼に賜ったという「昔人を助けてあげることがなければ、今日この碧虚の出会いがあるわけがない」の詩句しかありませんでした。 「桂林には洞窟が多くて、神仙達の会館だという疑い有り」と昔の人がそう言いました。実は、七星岩は100万年前に形成した古い地下川が地殻邉婴巧蠒Nして形成された鍾乳洞です。洞内の深い空間とさまざまな鍾乳石、加えて桂林山水が昔の人々にとって仙境のイメージとなり、洞内に神仙が住んでいるという幻想を呼び起こしやすいです。『仙跡記』は神話伝説の形式でそういう幻想について詳しく描写して、当時の人の中で広く伝えられていました。 |